澁澤龍彦が「ぬけぬけと自分の夢に溺れることができた画家」と記し、
ほぼ無名のうちに逝去した画家・秋吉巒(らん)。
永眠した翌年(1982年)に青木画廊で遺作展が開かれ、
そのエロスと幻想に彩られた絢爛なイメージの世界は多くの人々に衝撃を与えました。
しかし、秋吉巒にはもうひとつの顔がありました。
1950年ごろより長年にわたって、風俗誌の表紙や挿絵を描き続け、
高い人気を博していたのです。
一方、四条綾はまったく正体不明の画家です。
だがその画力は高く、風俗誌でも知る人ぞ知る存在でした。
しかもサブカルテイストを感じさせるその絵柄は、
現代においても十分通用するものがあるでしょう。
風俗資料館が秘蔵してきた原画の中から、この稀有な2人の作家を発掘!
秋吉巒はカラー8点を含めて約70点、四条綾も約50点の作品を掲載し、
埋れていた作品の数々を、初めてこ...
澁澤龍彦が「ぬけぬけと自分の夢に溺れることができた画家」と記し、
ほぼ無名のうちに逝去した画家・秋吉巒(らん)。
永眠した翌年(1982年)に青木画廊で遺作展が開かれ、
そのエロスと幻想に彩られた絢爛なイメージの世界は多くの人々に衝撃を与えました。
しかし、秋吉巒にはもうひとつの顔がありました。
1950年ごろより長年にわたって、風俗誌の表紙や挿絵を描き続け、
高い人気を博していたのです。
一方、四条綾はまったく正体不明の画家です。
だがその画力は高く、風俗誌でも知る人ぞ知る存在でした。
しかもサブカルテイストを感じさせるその絵柄は、
現代においても十分通用するものがあるでしょう。
風俗資料館が秘蔵してきた原画の中から、この稀有な2人の作家を発掘!
秋吉巒はカラー8点を含めて約70点、四条綾も約50点の作品を掲載し、
埋れていた作品の数々を、初めてここに甦らせたのが、この作品集です。
巻末には、風俗資料館館長・中原るつと美術評論家・相馬俊樹との対談も収録。
風俗誌だからこそ華開いた、幻想とエロスのアートをぜひ堪能してください。
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編著=相馬 俊樹(そうま としき)
1965年生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒。
エロティック・アート研究家、美術ライター、美術評論家。
「S&Mスナイパー」「トーキングヘッズ叢書」「美術手帖」
その他にアート、漫画、文学などに関する文章を多数発表する。
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秋𠮷 巒(あきよし らん)
大正11年 8月22日父辰次の長男として京城に生まれる。
本名・照國。父は熊本出身。通信省官吏として朝鮮で奉職していた。
昭和10年 京城公立商業高校入学。挿絵画家・椛島勝一の絵に魅了され、熱心に模写した。
昭和14年 第18回朝鮮美術展(鮮展)洋画部入選。(表題は『友を待つ間』)
昭和15年 京城商業卒業。第19回鮮展入選。
昭和16年 朝鮮美術家協会結成。同結成記念展出品。第...
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編著=相馬 俊樹(そうま としき)
1965年生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒。
エロティック・アート研究家、美術ライター、美術評論家。
「S&Mスナイパー」「トーキングヘッズ叢書」「美術手帖」
その他にアート、漫画、文学などに関する文章を多数発表する。
――――――――――――――――――
秋𠮷 巒(あきよし らん)
大正11年 8月22日父辰次の長男として京城に生まれる。
本名・照國。父は熊本出身。通信省官吏として朝鮮で奉職していた。
昭和10年 京城公立商業高校入学。挿絵画家・椛島勝一の絵に魅了され、熱心に模写した。
昭和14年 第18回朝鮮美術展(鮮展)洋画部入選。(表題は『友を待つ間』)
昭和15年 京城商業卒業。第19回鮮展入選。
昭和16年 朝鮮美術家協会結成。同結成記念展出品。第20回鮮展入選。出品作は総督府が買上。
昭和17年 第21回鮮展入選。第1回半島銃後美術展入選。
昭和18年 第22回鮮展入選。京城日報社入社、出版局小国民部勤務となる。
第2回半島銃後美術展入選。朝鮮漫画人協会の同人となる。
昭和19年 4月、教育召集される。5月、満期除隊。
昭和20年 決戦美術展出品指名。同展出品。情報課長賞受賞。
5月、臨時召集を受けるが、終戦により9月除隊。
10月、京城日報社解散後、11月16日京城を引き揚げる。23日、博多到着。
昭和21年 九州を一巡し、上京。世田谷区太子堂に落ち着く。
昭和22年 5月、根元澄江と結婚。米軍将校の肖像画や占領軍相手のお土産ものを描いて
生計を立てる。
昭和23年 3月、長男裕一誕生。
昭和25年 渋谷区幡ヶ谷に移る。肖像画の他に『デカメロン』(全日本出版社)など
風俗誌の仕事を始める。
昭和33年 アメリカより『風俗草紙』の表紙を持参したバイヤーが訪れるが、
「完成した絵はない」と断る。
これ以降、雑誌の仕事のかたわら、自分自身のための絵画制作に力を注ぎだす。
昭和42年 この年から以後3年間、雑誌の仕事をやめて絵画制作に没頭し、
180余点もの作品を描く。
昭和54年 8月、高血圧で倒れる。1カ月入院。
昭和56年 6月8日、心不全で死去。58歳。
昭和57年 遺作展開催。(青木画廊)
昭和58年 『藤野一友/秋𠮷巒 幻想の遺作二人展』開催。(青木画廊)
平成10年 画集『illusion 幻想画家 秋𠮷巒の世界』(文芸社)刊行。(長男・裕一編集)
参考資料:『illusion 幻想画家 秋𠮷巒の世界』(文芸社)
大橋博之「SF挿絵画家の系譜」(「SFマガジン」2008年9月号所収)
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四条 綾(しじょう あや)
イラストレーターとして広告会社に勤務。
結婚して退社後、フリーとして仕事を始める。
夫との死別後、SM雑誌などに挿絵などを描き始める。
1970年初頭は『風俗奇譚』(文献資料刊行会)にて表紙絵・口絵を担当。
1980年代前半は『SMクラブ』(日本出版社)にて表紙絵・口絵・挿絵を描く。
1980年代半ばからは、『SMマニア』(三和出版)『SMセレクト』(東京三世社)をメインに、
石崎澄子による、ノスタルジックな甘い少女のお仕置き物語に長きにわたり挿絵を描き続けた。
1980年代末、交通事故で、一時絵が描けなくなる。
その後復帰するも、肖像画などに移行。雑誌の世界からは離れる。
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实在太喜欢了
值得观看的一本好书!
一如既往地 好看
打通了界限